「思えば遠くへ来たもんだ」を観て 佃 堅輔(法政大学教授・美術評論家)
自己の人生を振り返るとき、題名のような言葉が、ある感慨をもって、ふと呟かれよう。机の上のパソコンの機械や携帯電話、椅子の上のワイシャツ、パレットやカンヴァス、周囲を高く取り囲む本棚、等々。 緑色に深く染まるこの密室空間こそ、画家が紙飛行機のように想像力を自…
自己の人生を振り返るとき、題名のような言葉が、ある感慨をもって、ふと呟かれよう。机の上のパソコンの機械や携帯電話、椅子の上のワイシャツ、パレットやカンヴァス、周囲を高く取り囲む本棚、等々。 緑色に深く染まるこの密室空間こそ、画家が紙飛行機のように想像力を自…
橋本氏の出自は「材料分析屋」である。長年。科学技術の真っ只中で生きてきたこともありサイエンスへの思いは人一倍強い。グループ展より一人で苦楽の全責任を負う個展に全力を注ぎ、敢えてそれを選択してきた橋本氏の厳しい性格も作品に姿を見せる。 この橋本氏の創り出す緻…
藤吉さんが私の教室へ通うようになって4年になる。それ以前の彼女については全く知らない。4年間といっても、内容的には他の仲間の10年分位の勉強をやったと思う。それ位、制作に取り組む姿勢は積極的であり、意欲的である。過去種々の創作活動も経験したとの事だが、絵を…
どんな具象系の画家も、自分の内面を通し、常に「何を」描くか懸命に探している。「何を」さえ決まれば、「どのように」描くかは、おのずと定まってくるからだ。 そのようなモチーフ探しについていえば橋本勝さんは、まことに恵まれている。学校の機械科を卒業し、大企業の自…
振り返れば、私の人生は起伏に富んだものでしたが、幼い頃からいい友達に、また小学・中学・高校では素晴らしい恩師と友人に、その後も、どこに行っても素晴らしい方々と巡り合うことができました。これらの方々とのお付き合いは何十年も続いており、私の誇りとするとこ…
私の画業への出発は遅く、まさに40歳の手習いでした。横須賀の拙宅の近くに堀江半杓子先生(当時、二紀会会員・女流画家協会委員・元中央美術協会委員)が絵画教室を開かれたのを機に師事したのがちょうど40歳のときでした。その後は堀江先生のお勧めで中美展(東…