振り返れば、私の人生は起伏に富んだものでしたが、幼い頃からいい友達に、また小学・中学・高校では素晴らしい恩師と友人に、その後も、どこに行っても素晴らしい方々と巡り合うことができました。これらの方々とのお付き合いは何十年も続いており、私の誇りとするところです。
 私は四十路を迎えたころから、母の介護に明け暮れる日々が約20年間続きました。当初は何となく、介護のみの生活に物足りなさを感じることがありました。そのような時、私は小学校のころから絵を描くのが好きだったこともあり、そうだ絵を描いてみようと思い友人に相談した結果、大川市在住の野口忠行先生の教室に参加させていただくことになりました。
 野口教室に通うことで絵を描くことの喜びを再発見しました。これが私の生き甲斐になり、今日まで続いています。
その後、野口先生のお勧めもあり上野の東京都美術館で開催されている「中美展」に1997年(平成9年)に初めて出展しました。あれから何○年! まさか、こんなに永く絵を描くようになるとは思ってもいませんでした。私に絵があってよかったとしみじみ思っています。
 今、こうやって時代順に整理した作品を見ていますと、色んなジャンルの絵を沢山描いてきたことに我ながら感心(?)しています。その一枚一枚を見ながら、その時代を振り返っています。
また人生の終盤では、同じ画業の道を歩む伴侶と共に充実した楽しい時間を過ごしています。優しいふり(?)をした夫と貞淑な妻を装った私とでの掛け合い漫才(もちろん、突っ込みは私、ぼけ役は夫!)をしながら、笑い声の絶えない毎日を過ごしています。
 夫は終の棲家を福岡に選んだことは大成功であった!といつも口癖のように言っております。この言葉を聞くたび私は大変嬉しい気持ちになっています。
 これ迄の絵画人生において、その節々に沢山の皆様の暖かいご支援を頂けたからこそ、今日の私があるのだと深く感謝しています。